別館第一倉庫

本館からロッキード裁判に関するものを移設しました。

続:ロッキード裁判を振り返る(その30)『第三者による評価について』

 「れんだいこ」氏のHPを見たことがきっかけで始まったこのシリーズ。
 今回は、渡部・立花論争に対するある評論家の評価を取り上げます。

 渡部・立花論争には、石島泰、井上正治、林修三などの第三者が参加してきますが、彼らはいずれも渡部サイドに立った主張をしており、公平な第三者ではありません。
 ところが、「れんだいこ」氏のHPの最後の方に、こんなことが書いてありました。

 「別冊宝島47」は『保守反動思想家に学ぶ本』(85年6月25日号)というタイトルになって、そこには角栄裁判についても相当の紙面がさかれている。そこに次のような発言がある。

「簡単に言えば、すぐに明らかなように、『朝日ジャーナル』=立花隆は、基本的に『文春』=渡部昇一(石島泰・井上正治)に負けているわけですね。しかも、反動的な役割を演じている」(同書140ページ)

 ここに登場された方々は、私とは違う立場の人たちである。いつもは違う立場の人たちがこういってくれることは私が提出した角栄裁判の疑問にはそれなりの価値があったのであって、決してデタラメばかりではなかったことを示してくれるものといえるのではないだろうか。この出席者の中にはプロの法律家も入っているのである。

 これは、渡部昇一が書いた『幕間ピエロ番外』第1回から、「れんだいこ」氏が一部抜き出して転載したものです。

 紹介されている『保守反動思想家に学ぶ本』の中の発言者について言及はありませんが、これは、評論家のスガ秀実(「スガ」は「糸+圭」)が、呉智英との対談で発言したものです。
 二人とも、それまで渡部・立花論争に関わったことはないので、スガの「立花隆は基本的に渡部昇一に負けている」という見方は、中立的な立場からの評価だといえるかもしれません。(私には理解しかねる評価ですが…)

 しかし、このとき、スガ秀実の言葉に対し同意も否定もしなかった対談相手の呉智英は、1999年に刊行された対談集『放談の王道』で、宮崎哲弥と次のようなやり取りをしています。

:(立花隆の)『ロッキード裁判批判を斬る』なんてのは、『朝日ジャーナル』に連載されたときに読んでて、それなりに啓蒙されるところがあったんだよね。さっき宮崎君が言ったように、なかなか論証が精密でね、確かロッキード裁判を批判していた渡部昇一先生が杜撰な論理展開をなさったんで、論破されてた。

宮崎:あのときは、渡部昇一先生だけじゃなくて、法律ジャーナリストや弁護士らも論破されてたんですよ。プロの法実務家と論争して勝ったんです。

 そもそも、この呉と宮崎の対談において、立花隆は否定的に取り上げられているのですが、その中にある話なので、「杜撰な論理展開の渡部昇一が論破されていた」という呉の意見は、かえって信頼できる見方だと思います。

 一方、スガ秀実が何故、立花隆渡部昇一に負けていると判断したのか、ここまで両者の論争を見てきた私には不思議です。
 発言の中に、「反動的な役割」という言葉があることから、田中角栄の犯罪を追及することで検察と同じサイドに立った立花隆を、「検察=反動」という短絡的思考の枠組みの中でしか捉えられなかったスガは、フィルターのかかった見方しかできなかったのかもしれません。


※ 有名な方は基本的に敬称略になっています。

 

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