別館第一倉庫

本館からロッキード裁判に関するものを移設しました。

続:ロッキード裁判を振り返る(その29)『一般の人物を持ち出すことについて』

 「れんだいこ」氏のHPを見たことがきっかけで始まったこのシリーズ。
 今回は、私がよく理解できなかった渡部昇一(特有)の記述スタイルを取り上げます。

 自説の根拠付けや補完・補足のために権威ある人の発言等を持ち出すことはよくあります。
 渡部昇一も石島弁護士、井上教授、林元法制局長官などの言葉をしばしば引用していますが、そのこと自体、特に変だとは思いません。
 私が理解できなかったのは、渡部昇一の場合、自説補完のために渡部しか知らない一般人物のエピソードを持ち出してくる点です。

 例えば『暗黒裁判論』には渡部昇一の近親者Kと東京在住の83歳の老婦人という二人の一般の人物が出ています。
 このうち、渡部の近親者Kについては、このようなことが書いています。

 戦前、渡部の近親者Kが、治安維持法違反容疑のため、二年数ヵ月拘置された。これは冤罪だったが、このKは二年以上にわたる拷問まじりの尋問に「天皇の名における裁判ではこんなバカなことが許されるはずはない」という希望を捨てずに耐え抜いた。田中角栄氏も「三審制のよる最高裁ではこんな適法手続を無視したことはしないだろう」と信じて闘い抜かれるのがよい。

 このKという人物は冤罪だったということですが、この文章が書かれた時点で一審で有罪判決を受けていた田中角栄を、そのKと並べて書くことで、一審判決があたかも冤罪であったかのような印象を与えようとしているように思われます。

 また、東京在住の83歳の老婦人については、こう書いています。

 東京在住の83歳の老婦人から、「田中氏は最高裁まで争うべきだ」という渡部の主張に感激した」という手紙を貰った。なぜこの婦人がそこまで感激したかというと、彼女自身が所信を貫くため20年間闘い続け、ついに最高裁で自分の信じるところが認められたという体験を持っているからだ。

 この老婦人の所信の内容も明らかにせず、一審から最高裁に至るまでの20年間、どのような経緯を得て「信じるところが認められた」のかも示されていないこの文章も、「田中角栄最高裁まで争うべき」という主張の前提にある「田中角栄は無罪」という考えを強く印象付けようとするために持ち出されたように思われます。

 この二人の話は、いずれも元最高裁長官の「三審制軽視発言」に対する批判の中で出されていますが、印象付けのためだけのエピソードなら不要でしょう。

 『七ヵ条』の中には、こういう記述もあります。

 私に寄せられた多くの手紙の中には、法律を全く知らない人たちで、「おかしいと思っていた」人たちからのものが何通もある。しかも私に手紙を下さったり、直接間接に同感の意を示された方の中には、司法と裁判の最高責任者の範疇に入る人も何人かおり、中には岡崎氏と同僚だった人もいるし、名だたる法律学者も複数でいることをお伝えしておく。今その実名をあげることは迷惑がかかるといけないから明さないだけの話である。

 法律の面で権威のある人が自分を支持してくれていると言いたいんでしょうが、仮にも「論争」をしている当事者が、そのような曖昧な話を自説強化のために持ち出してくる真意が私には理解できません。

 渡部昇一は『異議あり』の中でも一般の人物を持ち出しています。

 私(渡部)が勤務する上智大学でも、新聞の広告を見たらしい2,3人の外人同僚が「田中を弁護しはじめたそうですね」と心配そうに言ってくれたので「田中は一度も最重要証人に対して反対尋問の機会を与えられていなかった」というと、即座に「そうですか」と深くうなずいてくれた。

 さらに、同書の中では、次のようなエピソードも紹介しています。

 私(渡)の『暗黒裁判論』に対する反響が大きかったので、あるラジオ局がかなりの数の刑法関係の大学の先生に『暗黒裁判論』の私の考え方について質問をしたら、たいていの刑法学者が私の考え方に賛成だった。

 本人が「そうだった」というのなら「そうですか」としか言い様はありませんが、どこのラジオ局の何という番組がいつどのような内容の質問をどういった大学に籍を置いている何人ぐらいの刑法学者の方々に行ったのかという具体的なことが何一つ書かれていない話を、『暗黒裁判論』という自説補完のために使おうとする考え方が、私には理解できません。(『暗黒裁判論』に賛成する刑法学者というのもどうなのかな、と思いますが…)

 また、『英語力を疑う』の中で、渡部昇一は英文の最高裁宣明に対する立花隆の理解について、議論に客観性を持たせるため、新進の英語学者に立花隆の文章を分析してくれるように頼んだところ、その学者は、四百字八枚の結果報告の他に、次のような感想を別紙でくれたという。

 「立花氏の論は、論理的にフォローして行こうと思ってもなかなかうまく筋が追えず、変だな、と思いましたが、結局はインチキだからまともに追えないと判明しました」

 新進だか何だか知りませんが、また、別紙とは原稿用紙なのかメモ用紙なのか封筒の裏なのかわかりませんが、いくら感想とはいえ、学者という一定の知識のある人間が書いたとは思えないひどい文章です。
 「結局はインチキだからまともに追えない」などという日本語表現を使うような学者には、たとえ英語学者であろうと教えてもらいたいとは思いませんね。
 その程度の人物なので、渡部昇一は身元を明らかにしなかったのかもしれません。

 その他、「続:ロッキード裁判を振り返る(その7)『論点6:藤林・岡原両元最高裁長官の三審制軽視発言について』」で出てきた渡部昇一の教え子の大学院生の話も同様です。

 『暗黒裁判論』や『異議あり』がエッセイだというのであれば別ですが、渡部昇一の力の入り具合を見ると、いずれもエッセイに留まらない田中裁判一審判決を批判する「論文」のつもりで書いたようなので、具体性に欠ける内容のものを主張の補完材料として使ったのは適切ではなかったと思います。
 

※ 有名な方は基本的に敬称略になっています。

 

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