別館第一倉庫

本館からロッキード裁判に関するものを移設しました。

続:ロッキード裁判を振り返る(その28)『渡部昇一の被害妄想発言について』

 「れんだいこ」氏のHPを見たことがきっかけで始まったこのシリーズ。
 今回は、私自身が奇妙に感じた渡部昇一の被害妄想発言を取り上げます。

 渡部昇一は、一連の田中裁判批判の口火を切ることになった『暗黒裁判論』の初めの方で、藤林益三、岡原昌男の両元最高裁長官が、それぞれ毎日新聞朝日新聞で行ったインタビュー記事での発言を取り上げ、三審制軽視だと批判していました。
 その批判に対し、元最高裁長官から「素人は口を出すな」「素人は黙っておれ」と言われたと、渡部昇一は何度となく言っています。
 例えば、『幕間ピエロ番外』第7回には、こう書かれていました。

 私が『諸君!』に角栄裁判批判を最初に出した時、元・最高裁長官だった人たちは「素人が何をいうか」という趣旨の答えをなされた。

 しかし、実際のところ、元最高裁長官という立場にあった人が、そのような高圧的な言葉を外に向かってするものでしょうか。
 そこで、実際に発言された言葉はどのようなものだったか調べてみました。いずれも渡部昇一の文章で引用されていたものです。
 

1.(新聞インタビューでの発言の訂正について)『諸君』の編集部に岡原氏が口頭で答えられたところによると、この発言訂正の言葉はなかったという。かえって私に対して「少し法律の勉強をしてから出なおせ」という趣旨のことを言われたとのことである。[『七ヵ条』]

2. 岡原氏のほうは『諸君!』の(七ヵ条の)公開質問状には黙秘なさったが、ほかのところでは私の発言に言及してこう言っておられる。「渡部氏は法律の専門家でもないから反論しなかった」(「新春雑感」『人間』3,4月合併号51ページ)[『異議あり』]

3. 岡原・元最高裁長官は確かに「法律を勉強してから出なおせ」、つまり「素人は口を出すな」と言った。では、その素人の疑念を石島氏が法律の言葉に翻訳した時、岡原氏は答えられたか。まさかいくら元最高裁長官でも石島氏に「法律の勉強をしてから出なおせ」とは言い得ないである。そして沈黙されたままである。[『借問』]

4. 藤林元最高裁長官は、御自分の言葉を「綸言汗の如し」などと言われる方だが、市民の意見に対する顧慮が全くないことを示す点で注目すべき発言をなさっている。「…秦野さんみたいなゴロツキが何も知らずして何を言うかという気持ちだ。渡部(昇一)なんていう原稿商売の人も何か言っているようだが、素人が何を言っても答える気はない。ああいう人と同じ土俵に登ればこちらが下がるからね」(月刊『現代』1984年12月号)[『借問』]

 これを見ると、岡原元長官が実際に口にした言葉は、「2」にある「渡部氏は法律の専門家でもないから反論しなかった」だったようです。これ自体、特に高圧的な言葉だとは思えません。このブログを初めから御覧になった方は感じておられるでしょうが、渡部昇一に法律的な知識がないのは明らかですし、法律の専門家がまともに相手にするような人物だとは思わなかったんでしょう。「4」の藤林元長官の言葉も同じ考えだったと思います。
 そうした意味で、「1」の「少し法律の勉強をしてから出なおせ」は、岡原元長官の発言の趣旨としては納得できるものです。
  
 ところが、これが渡部昇一にかかると、高圧的な言葉に変換されてしまいます。それを表しているのが「3」ですが、その変換される過程を示すと次のようになります。

 岡原元長官が実際に言ったのが「渡部氏は法律の専門家でもないから反論しなかった」。
 その発言の趣旨というのは「法律の勉強をしてから出なおせ」。
 それが、「つまり」で言い換えられて「「素人は口を出すな」。

 この「つまり」のひと言で飛び越えた谷間の幅はかなりのものです。
 以降、事あるごとに、渡部昇一は「素人は口を出すな」「素人は黙っておれ」と言われたと吹聴しています。
 完全な被害妄想ですが、こんな被害妄想発言で印象操作されてしまった両元最高裁長官には同情を禁じ得ません。

 なお、「3」で、元長官が石島弁護士には「法律を勉強してから出なおせ」と言わずに沈黙したとありますが、何の疑問も持たず自分を石島弁護士と同じレベルに置いていることに、今風の言葉で言うと「痛さ」を感じます。


※ 有名な方は基本的に敬称略になっています。

 

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続:ロッキード裁判を振り返る(その27)『法律知らずの開き直りについて』

 「れんだいこ」氏のHPを見たことがきっかけで始まったこのシリーズ。
 論点とまでは言えない内容に関するやり取りについて紹介している5回目ですが、今回は、渡部昇一の「開き直り」を取り上げます。
 何についての「開き直り」かというと、今日のタイトルにあるように、法律を知らないことについての「開き直り」です。 

 なお、今回は渡部昇一立花隆両方の発言を引用するので、引用部分を囲むだけでなく、以前のように渡部側を赤色の文字立花側を青色の文字で表示します。

 さて、渡部昇一の『英語力を疑う』の中には、立花隆の書いたものに対する次のような記述が並んでいます。

・うんざりするほど多量の法廷関係文書の引用で、読者がフォローできないようにしてから、結論のところだけ、日常語でわかり易く渡部の人格攻撃をする。

・本文はとにかくごたごた難しげな引用やら、専門的に見える表現が多い。

・本文の中で立花氏が法廷関係文章で紙面を埋め、渡部に対する個人攻撃だけは誰にもわかる言葉にしている。

・内容はちょっと読んでもわからない。

 立花隆は、これを渡部昇一が立花の論旨を本当に理解できていないことの告白らしいとし、渡部昇一が、論破されたばかりの議論を、なぜバカの一つ覚えのように何度でも繰り返すのかという疑問に、自分が論破されたことをわからないから同じことを繰り返すという答えが得られたと皮肉を発しています。

 それと、渡部昇一立花隆ロッキード裁判をテーマに論争しているわけですから、法律の解釈が論点になるのは当然のはずですが、渡部昇一はそう思っていないようで、次のように言っています。

 細かい法解釈の技術的なことは、高裁や最高裁において、検事側と弁護側がやりあえばよいことで、立花氏や私のような素人が深入りして専門家ぶることではない。(『幕間ピエロ番外』第1回)

 もう呆れるしかない立花隆はこう返しています。

 いかなるまともな裁判批判をとっても、証拠問題を論ずるにあたって、裁判所の出した証拠決定書の内容を検討することを怠ったり、「細かい法解釈」の問題ははじめから捨ておくなどという裁判批判があっただろうか。

 しかし、渡部昇一は同様の発言を繰り返します。

・このような法律の細部について議論するのは検事と弁護士の役目であり、それを判定するのは裁判官の役目である。その法律問答の詳細を法廷文書からノリとハサミで切り抜いた引用をつけてやるのは、素人を対象とした雑誌などにはむかない。また普通の素人のやることではない。(『幕間ピエロ番外』第3回)

・立花氏が細かに分類してみせたような嘱託尋問関係の問題は、いずれも法技術的なものであり、そんなところに本当の問題があるのではない。(同上)

 こういう人物を論争相手にしてしまった立花隆はホトホト困ったようで、こんな励ましのエールまで送っています。

 渡部氏も、法律的議論は自分には難しすぎてわからないなどと、はじめからあきらめずに、ためしに一度裁判の傍聴にいらしてみてはいかがか。あなた程度の遭ためがあればわからないはずはないのである。
 しかしそれにしても、渡部氏には、本気で嘱託尋問を論じたいのならば、もう少し勉強していただかねば困る。

 法律を勉強する必要を感じていないようですから、まあ、勉強しませんわね。
 
 そのくせ、法律を知らないので法律の素人と呼ばれると腹を立てるらしいので、一体、どういう考えの人なのか、サッパリわかりません。
 この「法律の素人」云々については、次回取り上げます。


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続:ロッキード裁判を振り返る(その26)『渡部昇一の意味不明な発言について』

 「れんだいこ」氏のHPを見たことがきっかけで始まったこのシリーズ。
 論点とまでは言えない内容に関するやり取りについて紹介している4回目ですが、今回は、渡部昇一の意味不明な発言を取り上げます。

 渡部昇一は、専門家の言葉を引用しながら自説を語る場合はそうでもありませんが、オリジナルの自説を語ろうとすると、時々、意味不明なことを言い出します。
 例えば、『幕間ピエロ番外』第1回で、日本の裁判所が反対尋問権を無視、軽視したと主張した渡部昇一は、その理由としてこう書いています。

 嘱託尋問が反対尋問の代わりになる、というような規定はないのだから、法律の明文にないことをやるためのいろいろな口実を考え出して裁判は行われたのである。刑事訴訟法の明文にないことを、拡張解釈で有罪にすることについては、検事と弁護士のやりとりがあり、裁判官は検事側の言い分にほぼ同調した判決を下した。

 これについて、立花隆は「『嘱託尋問が反対尋問の代わりになる』などということはあるはずがないし、『法律の明文にないことをやるためのいろいろな口実を考え出して裁判は行われた』などということもあるはずがない。この文章は全く訳がわからない」と呆れています。

 また、『幕間ピエロ番外』第3回で、渡部昇一は、立花隆には「刑事裁判における反対尋問の不可欠性」が意識にはないようだと述べた後に、こう書いています。

 では「反対尋問」と「嘱託尋問」がどちらが根本的か。これは問題なく反対尋問の方が刑事裁判においては根本的である。

 これについて、立花隆は「反対尋問と嘱託尋問は全くカテゴリーを異にする概念であって、二つならべて『どちらが根本的か』という問いを発すること自体無意味である」と、ここでも呆れています。

 この他、「続:ロッキード裁判を振り返る(その20)『立花隆から渡部昇一への質問8』」の「感想」で取り上げた「検察官が裁判官に、公判の前に証人尋問するためのものである」という意味のわからない文を書いたことも含めて、渡部昇一は、法律用語の概念を理解せずに、裁判批判を展開しているように思いますが、ご本人にその辺りの自覚はあったんでしょうか。
 まっ、無かったでしょうね。

 それでは、また次回。


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続:ロッキード裁判を振り返る(その25)『団藤重光元判事の発言について』

 「れんだいこ」氏のHPを見たことがきっかけで始まったこのシリーズ。
 論点とまでは言えない内容に関するやり取りについて紹介している3回目ですが、今回は、団藤重光元判事の発言を取り上げます。

 団藤重光といえば、元最高裁判事ですが、それ以前は東京大学法学部教授で刑法学者として有名な人でした。
 渡部昇一は、刑事免責、外国への尋問嘱託、最高裁宣明などを問題点とする嘱託尋問調書採用に対する批判の中で、団藤元判事がある講演で「これは本当を言うと問題がある」と発言していたことを紹介しています。

 これに対し、立花隆は団藤発言は渡部昇一が主張しているような意味でのものではないとし、次のように団藤元判事の発言部分を引用しています。

 「日本側では、検事総長から『コーチャン氏を起訴することはない』という、いわば宣誓書みたいなものをつくりこれを最高裁判所にもって来て、この通り間違いないということを証明して欲しいということでありました。これは本当を言うと問題があるのでありまして、起訴猶予にしたからといって起訴猶予処分は別に確定力を持ちませんので、後で起訴しようと思えば法律的にできるのであります」(※立花が実際に引用している部分はもっと長いのですが、ここでは要所の部分だけ抜き出しました)

 そして、このコンテクストの上で明らかなように、団藤元判事は、後から起訴猶予処分を覆して起訴することが絶対にできないという不動の処分たりえていたか否かという点において「問題がある」といっているのであり、渡部昇一が考えているような点について「問題がある」といっているのではないとし、渡部昇一の引用をイカサマだと批判しています。

 この立花隆の批判は朝日ジャーナルで連載していた『幕間ピエロ』第40回に載ったものです。掲載号は1985年8月2日号。
 ところが、同誌で渡部・立花両氏が直接対決した『幕間ピエロ番外』第9回で、渡部昇一はこう書いています。

 「免責宣明書は司法行政事務であるという説明を立花氏は本当に信じているみたいなのである。しかし裁判の内容に少しでも関係があることを司法行政事務と呼ぶことはおかしい。当時の最高裁の判事の一人であった団藤重光氏も『これは本当を言うと問題がある』と言っておられる。団藤氏の言われ方は控えめであるが、司法行政事務と言うのは無理だ、という意味にとってよいであろう」

 この渡部昇一の文章が載った『幕間ピエロ番外』第9回は朝日ジャーナル1985年10月25日号であり、立花隆に『幕間ピエロ』第40回で自分の団藤発言引用を批判されてから2ヵ月以上経っているのに、渡部昇一は、当初の同じ内容の主張を繰り返しています。
 例の「渡部昇一単純繰り返しの法則」がここでも見られたわけですが、呆れ返ったであろう立花隆は論争後の『自戦記』の中で「私はレトリックでなしに、渡部氏の頭は本当にどこかおかしいのではないかと思っている」と述べています。

 「頭がおかしい」とか「バカ」とかいった立花隆の物言いを渡部昇一はよく「人身攻撃だ」と非難していますが、私はどちらかといえば、渡部昇一にこう言いたくなる立花隆の気持ちにシンパシーを感じています。


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続:ロッキード裁判を振り返る(その24)『秦野章について』

 「れんだいこ」氏のHPを見たことがきっかけで始まったこのシリーズ。
 前回から、論点とまでは言えない内容に関するやり取りについて、幾つか紹介していますが、今回は、元法相の秦野章についてです。

 渡部昇一は秦野章にも高い信頼を置いているようですが、その渡部昇一を熱烈に支持している「れんだいこ」氏も、同様に秦野章には信頼を置いているようです。
 そして、秦野章が、第一審後の岡原、藤林両元最高裁長官の発言を批判したところ、両氏から「法律のシロウトの言うこと」を批判されたことについて、「れんだいこ」氏は「元警視総監だった秦野章を法律のシロウト呼ばわりする神経が解せない」と立腹しています。

 しかし、その秦野章について、立花隆はまず、秦野の著書『何が権力か。』に次のようなことが書かれていると紹介しています。

・法の下では誰もが平等であるのが理想だが、現実にはそうはいかない。
・単純平等では世の中がスムーズに動かない面がある。
・総理大臣と町役場の一役人とを、同じ刑法197条の「公務員職務に関し」で、どうやって同じに裁ききれるのか。
・政治的には日本の代表に対して、単純に同法を適用するのは、おかしい。
・そもそも、総理大臣の職務を裁く能力が一審裁判所にあるのかどうか。

 そして、これらを通して、秦野章は「法の前の平等」という法の大原則を認めていないと批判しています。
 また、立花隆は、同書の中で秦野章が次のように書いている部分を紹介しています。

・逮捕された田中さんはほとんど取調べも受けていない。
・担当検事と田中さんとのやり取りは雑談ばかり。
・田中さんの口から自供を引き出そうとは思っていなかったのではないか。
・どう考えても、他の逮捕者にショックを与える衝撃逮捕としか思えない。

 そして、法廷で発表されている調書などから、田中角栄は、20日間の拘留期間中に、昭和51年7月27日付の「田中角栄の身上・経歴」から始まり、8月14日付の「田中が本件5億円の受領等を否認した事実」を述べたものまで、合計14通の検事調書を取られ、そのうち一通は、一問一答の形になっていることから、これらを読めば、秦野章の言う田中角栄の取調べの様子はデタラメであると述べています。

 その他、『論点8:外為法での逮捕は別件逮捕ではないかについて』で少し触れましたが、外為法による逮捕は別件逮捕であると主張しようとして国会の特別委員会で質問したところ、逆に外為法は「死に法」でないことが明らかになってしまったというようなこともありました。

 以上を見る限り、「れんだいこ」氏の立腹にもかかわらず、秦野章が法律のシロウト扱いされても仕方ないようです。
 自分の思い込みに沿った内容のものしか目を通さないのではなく、それと相対する考え方のものにも目を通せば、この程度のことで短絡的に腹を立てるようなことにはならなかったと思うんですが…。


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続:ロッキード裁判を振り返る(その23)『小室直樹について』

 「れんだいこ」氏のHPを見たことがきっかけで始まったこのシリーズ。
 誌面を通した渡部・立花両氏の主なやり取りについては前回まででほぼ紹介できたと思いますが、論点とまでは言えない内容に関するやり取りについて、幾つか紹介しておきたいと思います。

 まず最初は、小室直樹についてです。
 「れんだいこ」氏は「渡部氏の論調には小室直樹氏の識見(物事を正しく見分ける力)が作用していたようである」と書いていますが(カンテラ時評No.962)、実際、渡部昇一小室直樹を高く評価していたようで、『異議あり』の中では、小室直樹の「立花隆氏の意見にいたっては、近代法の初歩すらわきまえない、リーガル・マインドを全く欠いた斉東野人の言であって、法律論としては一顧の価値もない」という言葉を引用して立花隆批判に使っています
 さらに、『幕間ピエロ番外』の第9回ではこの言葉を再び引用したうえで、小室直樹との論争まで立花隆に提案しています。

 しかし、立花隆は、小室直樹が雑誌に発表した論文で、ロッキード裁判についてこう書いているのを紹介します。

 第一に、これは偏向裁判である。裁判というのは、本来、弁護側の言い分、検事側の言い分の双方を聞き、弁護側のいうことを一部認め、一部斥け、また検事側のいうことも一部認め、一部斥けるのが、当たり前のやり方といえる。
 それが今度の角栄裁判では、弁護側の言い分は、何ひとつ認められず、検事側の言い分は一点を除いてすべてが認められている。(中略)
 これが偏向裁判でなくて何だろう。

 そして、小室直樹が主張している「裁判というのは、本来、弁護側の言い分、検事側の言い分の双方を聞き、弁護側のいうことを一部認め、一部斥け、また検事側のいうことも一部認め、一部斥けるが、当たり前のやり方」という、双方の言い分を足して二で割るようなやり方では刑事裁判は皆無罪になってしまうと批判しています。

 さらに、小室直樹の「(立花隆は)リーガル・マインドを欠いている」という批判に対しては、次のエピソードを紹介しています。

 1983年1月26日、丸紅ルート求刑公判で、田中角栄に対し懲役5年の求刑があった時、ちょうどテレビの生番組に出演していた小室直樹は、突然立ち上がってこぶしをふり上げ、「田中がこんなになったのは検察が悪いからだ。有能な政治家を消しさろうとする検事をぶっ殺してやりたい。田中を起訴した検察官は全員死刑だ!」とわめき出し番組を中断させ、さらに、同じ放送局の翌日朝の生放送では、前日の発言の真意を釈明すると言いながら「政治家は賄賂を取ってもよいし、汚職をしてもよい。それで国民が豊かになればよい。政治家の道義と小市民的な道義はちがう。政治家に小市民的な道義を求めることは間違いだ。政治家は人を殺したってよい。黒田清隆は自分の奥さんを殺したって何でもなかった」などと発言した。

 そして、「政治家は汚職をしてもよいし、人を殺してもよいなどという人に、リーガル・マインドのかけらでも、感じることができるだろうか」と批判しています。

 今回は、特に私の感想は書きませんが、小室直樹に対する立花隆の発言は、一部で非常に高い人気はあるものの、非常に強い癖もあった小室直樹という人物に対する当たり前の批判だったと思います。、


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続:ロッキード裁判を振り返る(その22)『立花隆から渡部昇一への質問10』

 「れんだいこ」氏のHPを見たことがきっかけで始まったこのシリーズ。渡部昇一立花隆朝日ジャーナル誌上で直接対決した「幕間のピエロ番外」を取り上げる13回目です。
 今回から、立花隆が「番外」の第八回で渡部昇一に投げかけた44の質問のうち、質問番号が[74]から最後の[79]までの6問を取り上げます。
 ここでも主に、別件逮捕について尋ねていますが、最後の2問は、質問というより立花隆の「呆れ」の表明のようなものだと思います。
 
 これまでと同じく、番号で質問を表示し、その後に渡部の回答、それに対する立花側の反論があれば、それも一緒に対話形式で載せました。質問番号は通し番号になっています。また、これまで同様に立花側の発言は質問も含めて青字渡部側の発言は赤字で表示しました。
 さらに、これもこれまでと同じく、わかりやすい対話形式にするために、両者の雑誌上での発言を簡略化していることをお断りしておきます。

【立花→渡部10】
[74]外為法違反による田中逮捕が、別件逮捕ではなく、本件逮捕であることは、田中が外為法違反でも起訴されているのだから、疑う余地がないと思うがいかがか。

渡部「外為法をそのように使うことをまさに別件逮捕の例と呼んだのである」

[75]渡部氏の「死に法」論は、田中が起訴事実の通りの行為をしていたとしても、田中を訴追すべきでないということなのか。

渡部「適法手続きによって証明されたものでなければ犯罪自体は裁判上存在しない、ということがわかっていない愚問である」

[76]渡部氏の議論は、どう考えても連載16回を読むのを忘れているのではないかと思われるがいかがか。

渡部「[36]の答えを参照」

[77]渡部氏は、私が「別件逮捕」に対する答えを避けているとか、肝心の問いには答えていないなどといい、「[9]立花氏は『別件逮捕』をよしとされるか」などという設問を付け加えれておられるが、連載16回に『こういった別件逮捕[三億円事件のような本当の別件逮捕]が不当逮捕、違法逮捕の責めを免れないことはいうまでもでもない。そして、こうした別件逮捕を日本の警察がかなりしばしば行うという現実が批判されねばならないことも当然である』とはっきり書かれているではないか。いったい渡部氏はどこに目を付けているのか。

渡部「立花氏は今回の裁判が異例なものであることを認めているが、この点でも、角栄被告なら別件逮捕でもよいということなのか。日本の商社から日本の政治家へ来た金なら政治献金か贈賄に決まっている。丸紅から金が万が一行ったとしても、外為法で逮捕するのは別件逮捕以外の何物でもない」

[78]はっきり申し上げて、あなたは頭がおかしいのではないか。

渡部「アッハハハハハ」

[79]ここで渡部氏が逃げ出したら、日本の言論史上希代のデタラメ男が、ついに言い抜けに窮したあげく遁走したと私は満天下に公言するが、それでよろしいか。

渡部「私は立花氏の79の質問を受けたが、返事に苦しんだものは一つもない。むしろ愚問の多いことに驚いている。また、角栄裁判批判で問題になった中心点について、ほとんど理解しておられないのではないか、という疑念がしばしば頭に浮かんだ。私が立花氏に示した質問は14である。そのうち[1]と[2]は[1´]と[2´]に移行したので、まだほとんど答えてもらっていないのである。あえて言えば、私の数少ない、しかも答えやすい質問に答えるのに窮した立花氏が、あわてて79個の愚問を並べ立てたにすぎないのではないか。いずれにせよ、私がこの連載をやめるのは、気がついて見ると第二審の実質的審議が始まる時期だからである」


<感想>
 最後の[78]と[79]は御愛嬌として、別件逮捕については、いくら立花隆が根拠を示して別件逮捕ではないと説明しても、渡部昇一はその説明に対する具体的な反論はせず、ただただ別件逮捕であるという主張を繰り返すだけなのは、他の論点と同様です。
 糠に釘、暖簾に腕押しで、立花隆がイラついて[78]や[79]のような質問をぶつけたくなる気持ちがわかります。

 
 以上が、朝日ジャーナルに連載された「幕間のピエロ」の番外編での両者直接対決の様子です。
 この後は、これまで論点ごとに対話形式で示した両者のやり取りと直接対決の様子以外で、そこから抜け落ちたものを幾つか拾って、お示ししようと思っていますが、それは次回ということで、今日はここまでにしておきます。


※ 有名な方は基本的に敬称略になっています。

 

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