別館第一倉庫

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続:ロッキード裁判を振り返る(その18)『立花隆から渡部昇一への質問6』

 「れんだいこ」氏のHPを見たことがきっかけで始まったこのシリーズ。渡部昇一立花隆朝日ジャーナル誌上で直接対決した「幕間のピエロ番外」を取り上げる9回目です。
 今回から、立花隆が「番外」の第八回で渡部昇一に投げかけた44の質問のうち、質問番号が[44]から[51]までの8問を取り上げます。
 主に、証拠能力と証拠の証明力に関する質問です。
 
 これまでと同じく、番号で質問を表示し、その後に渡部の回答、それに対する立花側の反論があれば、それも一緒に対話形式で載せました。質問番号は通し番号になっています。また、これまで同様に立花側の発言は質問も含めて青字渡部側の発言は赤字で表示しました。
 さらに、これもこれまでと同じく、わかりやすい対話形式にするために、両者の雑誌上での発言を簡略化していることをお断りしておきます。

【立花→渡部6】
[44]渡部氏は『異議あり』の中で「証拠能力と証明力の区別をはじめて知ったのは『諸君!』1984年8月号の『匿名法律家座談会』によってだった」と告白しているが、それは本当か。

渡部「admissibleの法廷用語としての意味は英米の小説やテレビの法廷物が愛読していたので正確に把握していたが、『研究社大英和辞典』にも「証拠能力がある」という訳語は出てない。だから日本語の術語を知ったのはこの裁判に関心を持ってからだったが、その区別を知らなかったということはない。その区別を知らなければ反対尋問のなかったことを取り上げて裁判批判を始めうるわけがない。
 この裁判批判で、私は自分が素人であることを強調してきた。『素人にもおかしなところのわかる裁判』という点を強調してきたし、素人の私が『おかしい』と指摘した点は、石島弁護士や井上教授のような刑事裁判の専門家や、元最高裁判事(複数)も『おかしい』としている。私とは反対に、立花氏は素人なのに専門家のような態度をとり続けてきたが、その法律の理解の程度は、私以下なのではないかと思われる。第一審を不可謬なものと信じ、それと違う意見を、あらゆる罵詈雑言で批判するというのは、リーガルマインドがないからではないか」

[45]そうなると、『暗黒裁判論』を書いたときには、証拠能力の何たるかも知らなかったということになるが、その通りか。

渡部「[44]に対する答えを参照」

[46]『暗黒裁判論』の中で、クラッター証言は証拠能力を欠くから、その内容は無視せざるをえないとの主張が一行でもあったか。

渡部「『暗黒裁判論』は、本誌連載の一回分かそれよりちょっと多いぐらいの短いもので、すべてを書けるわけはなく、最も重要な点に注目を引いたのである」

[47]『暗黒裁判論』において渡部氏がクラッター証言を問題にした部分の主張の要点は、「五億円のお金が問題にされたのはほとんど聞いたことがない」というところにあったのではないか。

渡部「そんなことはない。贈賄事件において、贈った側の言い分を反対尋問にさらすことなく、証拠にした裁判に無理があるというのだ。私の主張はクラッターらの発言は、そもそも裁判官は読むべきものでないと考える立場なのである。それを根拠にして『有罪の推定』にもとづいているかのごとき裁判はするべきでなかったというのである。クラッターの発言を真実と思い込んでいるらしい立花氏の質問は全く問題にならない。なお金銭の授受は控訴審で大いに論議されるようである」

[48]この主張は、本当に裁判の審理過程を踏まえたうえでの主張だったのか。

渡部「[47]に対する答えを参照」

[49]この主張が、事実に照らして完全なデタラメであることを、連載3回で詳細に指摘したが、そこに異論がおありなのか。それとも、その部分はデタラメであったとお認めになるのか。

渡部「[47]に対する答えを参照」

[50]この誤れる認識の上に立って、渡部氏は五億円が問題にならなかったのはクラッターに反対尋問が欠けていたからだと主張したのではなかったか。クラッターに聞くべきことを聞いていなかったからだと主張していたのではなかったか。

渡部「[47]に対する答えを参照」

[51]その主張の中で、クラッター証言に証拠能力がないから、その内容を無視すべしとの主張が一行でもあったか。

渡部「[44]及び[47]の答えを参照」


<感想>
 朝日ジャーナルの連載の中で、立花隆は、証拠能力と証拠の証明力について大学受験資格と大学入試に例えて説明しています。
 高校卒業資格があれば誰でも大学入試に出願できるが、合格できるかは別の話である。この出願できる資格を得るのが証拠能力を認められるということであり、入試で合格するのが証明力を認められることだというものです。
 私には、この例え話がとてもわかりやすかったんですが、その理解に立つと、渡部昇一が質問[47]の回答で「私の主張はクラッターらの発言は、そもそも裁判官は読むべきでないと考える立場である」と言っているのは、証拠能力と証明力を混同しているように思えます。

 では、今日はここまで、続きは次回にします。


※ 有名な方は基本的に敬称略になっています。

 

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