別館第一倉庫

本館からロッキード裁判に関するものを移設しました。

続:ロッキード裁判を振り返る(その2)『論点の整理』

 というわけで、次のサイトがきっかけで、再びロッキード裁判について取り上げることにしました。

 <諸氏百家の角栄評考その7、反立花論客(渡部昇一、石島泰、井上正冶)考>
 
 この「れんだいこ」氏のHPは、御自身が続けている「カンテラ時評」のうち、ロッキード裁判について取り上げたNo.927、No.961、No.962、No.963、No.964、No.965、No.966、No.967の8つをひとつにまとめたもののようです。

 この中に、ロッキード裁判に関する論点が幾つか取り上げられていますが、論点によってはこれらの時評の中に何度も出てくるものもあります。 
 そこで、論点を次の8つに整理しました。

 [論点1] 5億円の収受について

 [論点2] 総理大臣の職務権限について

 [論点3] 嘱託尋問に対する反対尋問について

 [論点4] 嘱託尋問の法的根拠について

 [論点5] 免責特権付きの証言の証拠採用について

 [論点6] 藤林と岡原という二人の元最高裁長官の三審制軽視発言について

 [論点7] クラッターが小佐野賢治に会って20万ドルを授受したmiddayという時間帯について

 [論点8] 外為法での逮捕は別件逮捕ではないかについて

 このうち、論点1から4までは、岸田コラムを取り上げた時に説明しましたが、今回は、渡部昇一立花隆の論争が実際の所どうだったかを改めて振り返ることを目的としているので、まず、各論点についての両者の意見を示したうえで、私の感想を述べたいと思います。

 さて、ロッキード裁判に関する論争の渡部昇一立花隆双方の発言状況を、第一審から最高裁までの判決を含めて時系列に並べると次のようになります。

    <東京地裁判決(1983年10月12日)>
(1)立花「田中擁護のあらゆる俗論を排す」(文藝春秋1983年12月号)⇒以降「俗論を排す」
(2)渡部「『角栄裁判』は東京裁判以上の暗黒裁判だ!」(諸君!1984年1月号)⇒以降「暗黒裁判論」
(3)渡部「角栄裁判・元最高裁長官への公開質問七ヵ条」(諸君!1984年3月号)⇒以降「七ヵ条」
(4)渡部・伊佐「『角栄裁判』は違憲合法だ!」(諸君!1984年4月号)⇒以降「違憲合法だ」
(5)渡部「英語教師の見た『小佐野裁判』」(諸君!1984年7月号)⇒以降「英語教師の見た」
(6)立花「大反論!」(諸君!1984年7月号)⇒以降「大反論」
(7)立花「ふたたび「角栄裁判批判」に反論する」(諸君!1984年9月号)⇒以降「再反論」
(8)渡部「『角栄裁判』に異議あり!」(文藝春秋1984年10月号)⇒以降「異議あり
(9)立花「幕間のピエロたち」(朝日ジャーナル1984年10/12号~1986年5/2号)⇒以降「幕間ピエロ」
(10)渡部「立花隆氏にあえて借問す」(諸君!1985年2月号)⇒以降「借問す」
(11)渡部「立花隆氏の英語力を疑う」(諸君!1985年8月号)⇒以降「英語力を疑う」
(12)立花・渡部「幕間のピエロたち番外」(朝日ジャーナル1985年8/30~11/3号)⇒以降「幕間ピエロ番外」
    <東京高裁判決(1987年7月29日)>
(13)渡部「『田中角栄の死』に救われた最高裁」(諸君!1994年2月号)⇒以降「死に救われた」
    <最高裁判決(1995年2月22日)>
(14)渡部「立花隆氏よ 議論の土俵に出てこい」(到知2012年2月号)⇒以降「土俵に出てこい」

 最後の(14)については、こちらのブログhttp://blog.goo.ne.jp/chorinkai/e/11309fb6323f1d865b906edff104a03dに雑誌『致知』から転載されていたものを読みました。
 転載が全文なのか一部なのか要約なのかは不明ですが、渡部昇一がこういう内容の文章を書いたことは事実だと判断し、この一覧に挙げてあります。

 これら媒体での渡部・立花両氏の発言を、先に示した論点ごとに示したいと思いますが、長くなったので、続きは次回にします。


※有名な方は基本的に敬称略になっています。

 

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