別館第一倉庫

本館からロッキード裁判に関するものを移設しました。

続:ロッキード裁判を振り返る(その23)『小室直樹について』

 「れんだいこ」氏のHPを見たことがきっかけで始まったこのシリーズ。
 誌面を通した渡部・立花両氏の主なやり取りについては前回まででほぼ紹介できたと思いますが、論点とまでは言えない内容に関するやり取りについて、幾つか紹介しておきたいと思います。

 まず最初は、小室直樹についてです。
 「れんだいこ」氏は「渡部氏の論調には小室直樹氏の識見(物事を正しく見分ける力)が作用していたようである」と書いていますが(カンテラ時評No.962)、実際、渡部昇一小室直樹を高く評価していたようで、『異議あり』の中では、小室直樹の「立花隆氏の意見にいたっては、近代法の初歩すらわきまえない、リーガル・マインドを全く欠いた斉東野人の言であって、法律論としては一顧の価値もない」という言葉を引用して立花隆批判に使っています
 さらに、『幕間ピエロ番外』の第9回ではこの言葉を再び引用したうえで、小室直樹との論争まで立花隆に提案しています。

 しかし、立花隆は、小室直樹が雑誌に発表した論文で、ロッキード裁判についてこう書いているのを紹介します。

 第一に、これは偏向裁判である。裁判というのは、本来、弁護側の言い分、検事側の言い分の双方を聞き、弁護側のいうことを一部認め、一部斥け、また検事側のいうことも一部認め、一部斥けるのが、当たり前のやり方といえる。
 それが今度の角栄裁判では、弁護側の言い分は、何ひとつ認められず、検事側の言い分は一点を除いてすべてが認められている。(中略)
 これが偏向裁判でなくて何だろう。

 そして、小室直樹が主張している「裁判というのは、本来、弁護側の言い分、検事側の言い分の双方を聞き、弁護側のいうことを一部認め、一部斥け、また検事側のいうことも一部認め、一部斥けるが、当たり前のやり方」という、双方の言い分を足して二で割るようなやり方では刑事裁判は皆無罪になってしまうと批判しています。

 さらに、小室直樹の「(立花隆は)リーガル・マインドを欠いている」という批判に対しては、次のエピソードを紹介しています。

 1983年1月26日、丸紅ルート求刑公判で、田中角栄に対し懲役5年の求刑があった時、ちょうどテレビの生番組に出演していた小室直樹は、突然立ち上がってこぶしをふり上げ、「田中がこんなになったのは検察が悪いからだ。有能な政治家を消しさろうとする検事をぶっ殺してやりたい。田中を起訴した検察官は全員死刑だ!」とわめき出し番組を中断させ、さらに、同じ放送局の翌日朝の生放送では、前日の発言の真意を釈明すると言いながら「政治家は賄賂を取ってもよいし、汚職をしてもよい。それで国民が豊かになればよい。政治家の道義と小市民的な道義はちがう。政治家に小市民的な道義を求めることは間違いだ。政治家は人を殺したってよい。黒田清隆は自分の奥さんを殺したって何でもなかった」などと発言した。

 そして、「政治家は汚職をしてもよいし、人を殺してもよいなどという人に、リーガル・マインドのかけらでも、感じることができるだろうか」と批判しています。

 今回は、特に私の感想は書きませんが、小室直樹に対する立花隆の発言は、一部で非常に高い人気はあるものの、非常に強い癖もあった小室直樹という人物に対する当たり前の批判だったと思います。、


※ 有名な方は基本的に敬称略になっています。

 

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