別館第一倉庫

本館からロッキード裁判に関するものを移設しました。

続:ロッキード裁判を振り返る(その10)『渡部昇一から立花隆への質問1』

 「れんだいこ」氏のHPを見たことがきっかけで始まったこのシリーズ。今回からは、渡部昇一立花隆が、朝日ジャーナル誌上で直接対決した「幕間のピエロ番外」(以下、番外)を取り上げます。

 二人が一週ごとに交代で自説を主張する形で行われたこの論戦ですが、まとめ方がちょっと難しいんです。
 前回までは、「れんだいこ」氏のHPの内容から論点を8つに絞り、各論点ごとに両者の主張を対話形式に直していったんですが、今回取り上げる論戦はテーマがその都度あちこちに移るので、まとめにくいんです。
 で、いろいろ考えたんですが、双方とも相手に質問を投げかけているので、その質問ごとにやり取りを対話形式に構成しようと思いました。

 ただ、質問の数に大きな差があること(渡部⇒立花の14問に対し、立花⇒渡部が79問)、また、相手の質問にまともに答えていないものが結構あること、などから、質問を柱にまとめても理解しやすいものになるのか不安もあります。
 しかし、何か柱となるようなものを取りあえず置いて、それ中心に構成しないと形にならないと思い、やはり質問を中心にまとめることにしました。

 最初は、「番外」の第一回と第三回で渡部昇一立花隆に投げかけた6つの質問を取り上げます。
 番号で渡辺側の質問を表示し、その後に立花側の回答、それに対する渡部側の反論があれば、それも一緒に対話形式で載せました。また、これまで同様に渡部側の発言は質問も含めて赤字立花側の発言は青字で表示しました。さらに、これもこれまで同じく、わかりやすい対話形式にするために、両者の雑誌上での発言を簡略化していることをお断りしておきます。

【渡部→立花1】
[1]角栄側がコーチャン等に反対尋問をやる機会を与えられていなかったというのは本当か。
[2]角栄側が反対尋問を申請したのに「必要なし」として却下されたのは本当か。

立花「どちらも本当だし、この問題に関心を持つ人にとっては周知の事実。これまでの裁判批判論争は、この事実関係の上に立って議論されてきたので、その有無の問題からもう一度議論をはじめるのは無意味である」

渡部「反対尋問権は憲法の明文の保証した被告の最重要な権利である。被告の権利を「必要なし」と言える人はいったい、何人なのか」

[3]反対尋問の申請が却下されたことを、立花氏は『ロッキード裁判傍聴記』で報道しなかったのは本当か。

立花「『傍聴記』の雑誌掲載分についてはその通り。この問題については、渡部氏が『借問す』の中で持ち出したので、私は連載14回で反論を加えた。渡部氏が性懲りもなく『英語力を疑う』でまた持ち出したので、連載40回で完膚なきまでに反論し、「渡部氏は『江戸時代史に明治時代のことがのっていないからデタラメだ』とイチャモンをつける愚を犯した人という烙印から逃れられない」と結論を下した。その論争経過を踏まえずに、そのまま問題を蒸し返しても無意味である」

[4]刑事訴訟法321条が、憲法第37条第2項、及び刑事訴訟法320条の趣旨を尊重することなく拡大解釈されたのは本当か。

立花「本当ではない。朝日ジャーナルの連載ではまだ言及していないが、『大反論』でかなり詳しく論じてある。先取りしたければ、その議論を踏まえて反論を加えると言う形で議論を展開してほしい」

渡部「刑訴法321条は、憲法37や刑訴法320条に対する例外規定である。したがって例外規定が少しでも厳密さを欠いて適用されると、憲法37条も刑訴法320条も空文になっている。今回の第一審では、甚だしく反憲法的、反刑訴法320条的に解釈された。この条文作成者の横井大三元最高裁判事をはじめ、多くの法律学者が重大な疑念を示している」

[5]刑事被告の最大の権利である反対尋問権が使えなくなることが構造的に予見されている場合にも嘱託尋問をしてもよいし、それを証拠として採用してもよいと立花氏は考えているかのごとくであるが、本当か。

立花「反対尋問を嘱託尋問によってなすことは可能であり、だからこそ、田中弁護団も反対尋問の嘱託尋問を請求している。従って、この質問は、嘱託尋問において「反対尋問権が使えなくなることが構造的に予見されている」という前提が成立しないから無意味である」

渡部「立花氏はこういう裁判のやり方が判例として確立するのを少しも心配していないようだ」

[6]外国にいる証人[共犯者]の証言を、反対尋問にかけることもなく証拠として採用するという判例が出ることについて立花氏は少しも心配していないように見える。反対尋問にさらされることのなかった共犯者の証言を裁判官が読んだり、証拠として採用してもよいと立花氏はお考えのようだが、それは本当か。

立花「反対尋問にさらされなかった共犯者の証言でも、証拠として採用してもよいと法的に認められる場合があり、この場合はそれに当たる。

渡部「外国にいる証人[共犯者]の証言を反対尋問にかけることなく証拠として採用するという判例が出ることは危険なことである。たとえばレフチェンコ事件で、彼に嘱託尋問にさらさずその証言を採用したらどうなるか。立花氏は、この危険に目を閉じているようだ」


<感想>
 渡部昇一の質問に対し立花隆はまともに答えないことが多いんですが、このあたりだと、まだ、一応、答えを返していますね。
 しかし、この後、立花隆がまともに答えなくなる理由の萌芽がここにも見られます。例えば、質問[1]と[2]に対して、立花隆は「これまでの裁判批判論争は、この事実関係の上に立って議論されてきたので、その有無の問題からもう一度議論をはじめるのは無意味である」と述べていますし、質問[3]への回答では「その論争経過を踏まえずに、そのまま問題を蒸し返しても無意味である」と述べています。いずれも、例の「渡部昇一単純繰り返しの法則」への苛立ちですが、以下の質問では「答えない」という態度で、苛立ちを与える渡部昇一に対応することが増えてきます。
 その他、逆質問で対応するという手段も立花隆は取ってきます。上の質問の中で[6]について、一応回答していますが、続けて後に出てくる質問[60]と[61]を渡部昇一に返しています。

 というわけで、今日はここまで。この続きは次回です。


※ 有名な方は基本的に敬称略になっています。

 

にほんブログ村 政治ブログ 政治評論へ
にほんブログ村